モノレール Monorail

日本でディズニーランドを忠実に再現した遊園地建設にあたって必要不可欠だった乗り物の一つがこのモノレールだろう。アメリカと同じアルウェーグ跨座式モノレールは当時の日本ではどこにも建設されておらず、実現不可能かに思われた。そんな中、アルウェーグとの技術提携に頼らず、独自の跨座式モノレールの開発を目指した東京芝浦電気によって松尾社長の野望は実現してしまうのだが奈良ドリームランドモノレールとは一体どのようなものだったのか。後の横浜ドリームランドモノレールの悲劇に至る一因も垣間見えてきた。
 

第1章 発注者側の事情

アメリカのディズニーランドの乗り物だけでなくその配置まで忠実に再現して開業してしまったことで、ディズニーの許諾を得ずに建設したのではないかと批判されがちな奈良ドリームランドですが、その議論は置いておきましょう。
注目すべきなのはこのディズニーランド風遊園地「奈良ドリームランド」が着工からわずか1年程で竣工している事です。松尾社長は大阪新歌舞伎座等の劇場を運営する千土地興行という一大レジャー企業を経営していましたが、遊園地の建設・運営のために新会社・株式会社ドリームランドを設立して出資を募るほど意欲に燃えていました。
だからといって急いで建設したのはどうしてなのか。借入といった資金繰りの問題でしょうか?明確な理由は不明ですがヒントは前述の大阪新歌舞伎座にあります。松尾社長が千土地興行の社長に就任したのは新歌舞伎座の前身である大阪歌舞伎座の労働争議がきっかけで、これを収束させると社長は大阪歌舞伎座を閉鎖して千日前から難波への移転を決断。しかも規模を縮小して「大阪新歌舞伎座」として再出発します。
現在、ホテルロイヤルクラシック大阪の低層階の意匠として復元された連続唐破風の5階建ての劇場は建築家・村野藤吾氏の設計、施工は大林組でした。この時、大林組と着工から1年で建設する契約を締結します。設計者・村野氏は祝辞の中で大林組でも1年で竣工させることは難しいのではないかと思っていたと記していますが、それでも大林組は見事に竣工させたのでした。
松尾社長は新歌舞伎座開業時59歳、奈良ドリームランド開業時62歳と高齢になられる中でどこか焦りでもあったのでしょうか。奈良ドリームランドは清水建設を中心に1年、開園時には無かった奈良ドリームヘルセンターも1年程で建設して開業しているようです。横浜ドリームランドの高層ホテルとして有名なあのホテルエンパイアも大林組が1年で竣工させています。松尾社長が短い工期で事業を進めようとしていた事で受注者は相当な負担となったことでしょう。後の横浜ドリームランドモノレールはさすがに工期は1年ではないものの当初の開通予定時期は遅れていったのです。
 
続く第2章ではそんな受注者側の事情を探ります。